弥生以前 千代に八千代に三億年 君が代は小学生の頃から意味も分からず歌ってきた。式典を厳粛にする呪文に節をつけて唱えているように思えた。「さーざーれー」「いーしーのー」が「さざれ石」で、細かい石を意味することを理解するのには、かなりの歳月を必要とした。さざれ石が巌(いわお... 2023.01.23 弥生以前
安土桃山 月田城の最寄駅は急行終着点 家に岡山駅の古い時刻表があって、聞いたこともないような特急や急行を見つけて楽しんでいた。行先は上りなら大都会、下りなら有名な地方都市なのだが、月田駅が終点という珍しい急行列車を見つけた。昭和47年10月2日改正の時刻表である。その急行は岡山... 2023.01.20 安土桃山
安土桃山 搦手を守った忠義の武将 城には「大手」と「搦手(からめて)」がある。日本経済を動かしている大手町は、江戸城の正門大手門があったことに由来している。つまり大手は城の正面である。何事にも表と裏があるものだ。表を固めて敵の動きをしっかり見ておくこと大切だが、裏にも気を付... 2023.01.16 安土桃山
南北朝 人は峠を越え、汽車はトンネルを抜ける 明治天皇には男子5人、女子10人、計15人の子ができた。子だくさんに見えるが、成人したのは5名、うち男子は大正天皇ただ一人だった。明治時代でさえこうなのだから、それ以前の乳幼児死亡率は高かったに違いない。しかし、子の成長を願う親の気持ちは、... 2023.01.13 南北朝
江戸後期 みっかちとせのわかれかな コウノトリは赤ちゃんを運んでくる幸せの鳥として知られているが、見たことがあるかと言われたら、ない。タンチョウヅルなら後楽園で見た。コウノトリはタンチョウとは似て非なる鳥だという。豊岡市にはコーちゃんというキャラクターがいて、コウノトリで町お... 2023.01.11 江戸後期
安土桃山 秀吉兄弟の中国攻め、緒戦の勝利 秀吉の中国攻めは戦国史のハイライトである。中国の雄毛利氏と畿内の覇者織田氏によるこの対決は、天正五年(1577)の播磨攻めから始まる。当初、播磨の諸将は時局をうまく読んで織田方につく。のちに彼らは寝返ることになるのだが、今はその気配はない。... 2023.01.08 安土桃山
古墳 地震台風に強い石造建造物 わらの家、木の家、レンガの家のうち、一番安心なのは?「三匹の子ぶた」が語り伝える教訓である。風で吹き飛ばされないレンガ造りが安心なのは、イギリスに地震がないからだ。腑に落ちるこの話は、日本にはやはり木の家が適していると続く。ところが我が国に... 2023.01.07 古墳
安土桃山 戸田松の城にかくるゝよし ルイ14世はわずか4歳で即位し、足利義満は11歳で将軍となった。子どもながらに政治の道を誤らなかったのは、宰相マザランや管領細川頼之のおかげである。いっぽう安徳天皇は1歳で即位したが平家と運命を共にし、1歳か2歳の三法師は秀吉に主客転倒され... 2023.01.05 安土桃山
戦国 巨大井戸を恐る恐る覗いてみた 山城には堀切、土塁、切岸など様々な防御施設があるが、守りを堅くしていればよいわけではない。欠かせないのは井戸である。飲料水が確保できなければ戦闘を継続しがたい。水に困った城兵はそれと悟られないために、馬に白米をかけて洗うそぶりをしたという。... 2023.01.04 戦国
安土桃山 あったかもしれない大富山(とみやま)市 昭和38年に岡山県南に100万都市が出現するはずであった。当時の自治体名では西は鴨方町、東は邑久町、北は御津町、南は玉野市、児島市という超大型都市である。ざっくり言えば岡山市と倉敷市、総社市が合併したようなものだ。昭和37年12月に関係33... 2023.01.02 安土桃山