古墳

町指定文化財だった古墳

慶安御触書は慶安二年(1649)に発令とされていたが、どうやらその実体はなかったらしい。慶安四年(1651)の慶安事件、由井正雪らによるクーデターは未遂に終わったが、武断政治を改める契機となった。そんな時代の建築物が本日の出発地である。岡山...
江戸後期

沈毅にして人にへつらわず

旧暦の十月一日というから今なら十一月半ばだ。夜がぐっと冷え込み、山は美しい彩りを纏っている。そんな折、友あり遠方より来たる。幕末の万葉歌人平賀元義のもとへ客人が訪ねてきた。十月朔日、鴨井耕太郎大銘訪月見之楼小飲客人(まれびと)に何を示さむ山...
戦国

最高度に発達した最末期の山城

うちには何枚ものレーザーディスクがあり、とりあえずLDプレーヤーも保管している。アナログ方式の最高峰というべき記録媒体であったが、DVDの普及で急速に姿を消し、今やすっかり忘れ去られている。中世山城も同じだ。総石垣を特徴とする近世城郭の普及...
源平

児島横断ルートを遮断する城

ロシアのウクライナ侵攻により、ウクライナ出身の音楽家によるチャリティコンサートが各地で開かれている。いっぽう分が悪いのはロシア出身者で、著名ソプラノ歌手の台湾コンサートが中止になるなど、活動の場が狭められている。JR恵比寿駅では「不快だ」と...
弥生以前

弥生初期のお墓スタイル

最近の墓にはスタイリッシュなデザイン墓があり、中にはグッドデザイン賞を受賞したものもあると聞く。形あるものには流行があるが、現在一般的なお墓の形は江戸時代後期に普及した。それ以前は五輪塔が多かったようだ。古墳時代はその名のとおりお墓の時代で...
古墳

グローバル古墳の時代

我が家の壁はかつて、藁混じりの土壁だった。古めかくして『三匹の子ぶた』の藁の家かのように情けなく思っていたが、調湿、断熱、防火に優れた職人技の壁だったと気付いたのは最近である。本日紹介するのは、千数百年を経てもなお美しい石の壁である。こうも...
神話

神功皇后が持ち帰った梅の木

赤ちゃんの誕生を喜ぶ歌はいつの時代も変わらない。万葉のむかしには山上憶良が「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに」と子宝を授かった喜びを詠じた。現代なら平松愛理さんの「Dear My Baby」。恋でも愛でもない、駆け引きなしで許せる...
古墳

富沢谷の古墳に立ち寄り物見峠へ

富雄丸山古墳については日本最大の円墳として「円墳選手権大会東海代表」など本ブログでもたびたび触れている。この有名古墳で国宝級の大発見があったとのニュースが駆け巡った。今年1月25日のことだ。出土したのは異形の鏡と剣である。鏡は「鼉龍文盾形銅...
安土桃山

城下町用瀬を守った豊臣系武将

令和元年秋に鳥取市歴史博物館で「因幡×豊臣~豊臣政権と因幡の大名~」という秀逸な展覧会があった。因幡の大名といえば、中世なら山名氏、近世なら池田氏で、両者を結ぶ安土桃山期が豊臣系大名の時代である。軽く扱われがちだったこの時代にあえて着目した...
江戸後期

三角形の三角山は神の山

ブログ開設以来の総アクセス数が84万を突破しました。これもご覧いただきました皆様方のご厚情の賜物と心より御礼申し上げます。今後とも何卒変わらぬご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。山容と山名は密接な関係にある。槍ヶ岳は尖っているし鋸岳はギ...