神話

吉備の巨人伝説

ダイダラボッチという巨人の足のあと,手のあとは日本各地にある。特に浜名湖が手をついた跡だという巨人は,想像力を働かせるに余りある大きさである。ここで紹介するのは,岡山市にある吉備中山の山中にある「ダイボーの足跡」だ。縦横20メートルくらいで...
戦後

地方の懐かしい銀座

「銀座」,それは地方において繁華街の代名詞であり,人々のあこがれであった。元来は銀貨の鋳造を行った機関であるが,銀のきらびやかなイメージが商店街と結びついていった。今でも都市を代表する繁華街として名実ともに銀座の名を冠している商店街も多いの...
源平

平清盛と吉備高原

平清盛の供養塔は京都や明石に存在し,いかにもそうだろうと納得させてくれる。ところが,彼の活躍の舞台からやや離れた吉備高原の山中にも,清盛のものと伝えられる供養塔がある。岡山県の吉備中央町湯山に清水寺という天台宗の寺院がある。「せいすいじ」と...
江戸中期

琉球楽人の客死

琉球使節の江戸上りは,薩摩,長崎を経て下関から大坂まで海路であった。瀬戸内でも有数の港である鞆の浦にも使節の定宿があった。将軍・家斉の襲封を祝って寛政2年に琉球から慶賀使が遣わされた。ところが,一行の楽人である向道亨は病に倒れ鞆で亡くなる。...
戦後

色丹島の景勝

色丹島の又古丹は,この島第一の景勝地だ。ロシアではオトラドナヤ湾と呼んでいる。コタンという音はアイヌ語に由来するのだろう。しかし,今ではアイヌは墓を残すのみだ。「クリル人墓地」との日本語表記で保存されている。島の中心集落・斜古丹からは,国後...
南北朝

南風競わず

後醍醐天皇の皇子たちは各地に転戦し、南朝の皇威を揚げようとした。遠江の井伊氏のもとに身を寄せた宗良親王もその一人だ。親王は井伊氏の娘、駿河姫を妃とする。戦いに向かう親王に同道しようとした姫は、浜松市北区細江町気賀の金地院の辺りで倒れ亡くなる...
戦前戦中

聖上陛下の御上陸

昭和五年五月二八日から六月三日まで,昭和天皇の静岡県御巡幸があった。六月一日には巡航船で浜名湖を御覧になり佐久米港に御上陸になった。ホテルグリーンプラザ浜名湖近くの海岸に,記念の石碑が当時の東濱名村によって建てられている。『三ケ日町史』によ...
南北朝

後藤又兵衛の先祖

姫路市香寺町矢田部に「後藤又兵衛ゆかりの郷倉」がある。後藤又兵衛とは,大坂の陣の勇将・後藤基次のことだ。郷倉は「ごむら」と読む。この「ごむら」は完形をとどめていない宝篋印塔の一群である。南北朝時代のものらしい。又兵衛と宝篋印塔,そして郷倉。...
戦国

腰投げ地蔵

石仏は人に安らぎを与えるが,とりわけ岡山市高松地区に散在する文英様石仏は心優しい。戦国末期,文英とその弟子によってつくられ,争乱の時代に亡くなった人々の霊を弔っているという。加茂小学校の近くのあぜ道に二体の地蔵尊が鎮座する。鎮座というほど堂...
平安

名国司の顕彰

かつての土佐は遠流の地で,幾多の貴人が流されてきた。その一人,紀夏井といえば,応天門の変で排斥された名族・紀氏の有力者である。香南市野市町母代寺には紀夏井邸跡がある。母代寺の近くには父養寺という地名もあり,どちらも夏井の親孝行に由来するらし...