安土桃山 失われた蛸石の兄弟 大阪城の石垣と堀の大きさは,そのまま権力の大きさである。中でも第一の巨石とされているのが「蛸石」(たこいし)だ。36畳敷で130tと言われている。この巨石がある桜門枡形は,寛永元年に岡山藩主・池田忠雄が担当したもので,備前産の良質花崗岩が用... 2008.10.07 安土桃山
平安 いぼ神様になった巨勢金岡 巨勢金岡といえば,大和絵の様式を確立した平安時代の絵師である。その金岡が「いぼ神様」となって信仰されているというから不思議だ。岡山市西大寺上1丁目の小学校と中学校の間に「巨勢金岡の墓」がある。晩年をこの地で過ごしたと伝えられ,墓の右手に「筆... 2008.10.06 平安
南北朝 忠臣高徳の甥の活躍 『太平記』での児島高徳の忠義ぶりはずいぶんと称賛されてきたが,南朝方で活躍した備前の武士は他にも多い。岡山市西大寺松崎に「松崎彦四郎範家候墓所」がある。JR赤穂線に沿って斜面を登ると,その後裔の宅跡だという場所に五輪塔が建立されている。範家... 2008.10.05 南北朝
平安 平安の首都移転候補地 現代の首都移転は一向に進む気配がないが,平安時代にも頓挫した遷都の動きがあった。遷都騒動で有名なのは,治承四年(1180年)の平清盛の福原遷都。この時,手狭な場所ではなく摂津国昆陽野(伊丹市)か播磨国印南野(加古川市)にすべきでは,との意見... 2008.10.05 平安
源平 霊験あらたかな弁慶の母 武蔵坊弁慶の生涯は,出生から義経との出会い,奥州への逃避行とその死に至るまで,聞く者みなが惹きこまれる物語で彩られている。しかし,実のところはほとんど中世の説話による伝説であり,事実を知ることは困難である。姫路市夢前町玉田の北野神社に「弁慶... 2008.10.04 源平
明治 神仏分離への小さな抵抗 日本の宗教史の大部分は神仏混淆の歴史である。神は仏の仮の姿であるとの考えが広まり,神社を保護する神宮寺が多く建立された。神前で読経することも自然な信仰形態であった。岡山市青江3丁目,日赤病院の裏手にある天野八幡宮の鳥居には,かつて「南無妙法... 2008.10.04 明治
源平 芸者ガール発祥の地? 静御前の悲話は,日本人の心の琴線に触れる。しかし,彼女が登場する史料は『吾妻鏡』のみであり,今に伝わる伝説の多くは『義経記』以来の想像の産物だという。東かがわ市大谷に「静御前姿見の井戸」がある。すぐ近くに「姿明神」という小さな祠もある。人が... 2008.10.02 源平
源平 平重盛を偲ぶ寺 小松内府,平重盛は平氏一門の中でも好意的な描写をされる人物である。父清盛に先立って亡くなることなかりせば,平氏の運命やいかに…などと思わせる。福山市の鞆の浦の寺町に小松寺がある。臨済宗妙心寺派の寺院である。ここに「平重盛卿の墓」と伝えられる... 2008.09.28 源平
江戸中期 「池田義民さん」という歌 享保17年,西日本に甚大な被害をもたらした大飢饉が発生する。高松藩領の大内郡落合・松崎の両村でも連年の水害で困窮を極めていた。これを見かねた庄屋の池田彦七は,妻子と別れ単身で藩に年貢減免を直訴する。東かがわ市落合に池田神社があり,その境内に... 2008.09.28 江戸中期
源平 平家「瀬尾最期」の舞台 木曽義仲をして「一騎当千のつわもの」と言わしめた男,妹尾(瀬尾)太郎兼康の話をしたい。義仲と戦い,一度は捕虜となるも逃亡して,さらに奮戦,最後は覚悟の討死をした平家方の武将である。その様子は『平家物語』巻第八「瀬尾最期」に詳しく描かれている... 2008.09.28 源平