安土桃山

子供をば串に刺し

古城に立つと「兵どもが夢のあと」の句が思い浮かぶ。多くの死者が出た凄惨な殺戮の場であったはずだが、芭蕉の時代にしてすでに浪漫と化している。まして今や戦国武将の追った夢を追体験しようと、多くの人々が古城を訪れている。兵庫県佐用郡佐用町上月の上...
戦後

鞆の浦の龍の昇天

既に十数年の昔のことである。初めて鞆の浦を訪れた時、古寺めぐりをして法宣寺を訪ねた。境内に入ったとたんに絶句したのは、巨大な松が枯れていたからだ。枯れてからさほど時間が経っていなかったのだろう、枝が折れているわけでなく、葉さえ落ちていなかっ...
室町

母の面影、息子の肖像

母を訪ねて三千里のマルコと浄土真宗の蓮如上人、母を思う気持ちは古今東西同じなのだと思う。母は人の原点であり、かけがえのない存在である。今日は蓮如上人の母の話をしたい。 福山市鞆町鞆の本願寺に「蓮如上人の母の墓」といわれる石塔がある。この“時...
南北朝

父との戦い

足利尊氏は逆臣だとか、ずいぶんと貶められた時期があったが、幕府を創設し武家政権の進展に寄与した歴史上前向きな評価を受けている。しかし、父親としてはどうだろう。非嫡出子である直冬を冷遇し、討伐軍まで向けている。兄としてもどうだろう。弟・直義と...
源平

武者の姿と松の巨木

「王城一の強弓精兵なりければ、能登殿の矢先に廻る者、一人も射落とせれずと云ふ事なし」『平家物語』巻第十一「嗣信最期の事」にこのように記された能登殿とは、平家の豪腕、能登守教経である。文弱に描かれやすい平家の公達の中では、文字通り源氏に一矢を...
源平

武士の意地、妻の想い

人が歴史に求めるものは、史実ではなくロマンである。その代表例が「源義経」で英雄不死伝説へ発展していくのだが、それは平家の武将にも見ることができる。『平家物語』のヒーロー、ヒロインが山里を歴史の舞台へ引き上げてくれている。 福山市沼隈町大字中...
源平

禁忌としての白色

合理性ばかりで割り切れないところに民俗学の面白さがある。忌避せねばならない行動には、なぜそうなったかという、もっともらしい理由が付随している。いや、もっともな理由があったのかもしれないが、落武者の悲話などと結びつくと妙な説得力が生じてくる。...
安土桃山

足利将軍,崩された石塔

時代を越えて慕われ続け墓に香煙が絶えることがないのは,坂本龍馬くらいなものだ。ファンのメッセージまで並ぶ観光的な墓となっていることは、彼の評価を見事に顕現したものだ。しかし,崩れて苔むした石塔であっても,充分に歴史の教訓というか人生の教えに...
平安

生活の水,弘法の水

弘法大師ほど伝説の多い方はいない。大師が杖を突いたら泉が湧き出してきただとか、逆に大師が水を所望したにもかかわらず惜しんで与えなかったので水が涸れてしまったなど、大師の霊験を示す話は全国各地に分布している。福山市沼隈町大字上山南に「弘法の井...
神話

神武天皇が見た眺め

天子南面す,という都城の構成も,我が家が南向きなのもおそらくは同じ理由だろう。鼎の軽重を問うような不遜な主張をしているのではない。北半球では陽射しが南から入るというだけのことだ。前回紹介した神武天皇の御上陸地の近くに道標がある。私たちも御幸...