安土桃山

流浪、始めの一歩

この秋に滋賀県立安土城考古博物館で足利義昭展があった。織田信長に追放された最後の室町将軍として知られたVIPだが、その割にはスポットが当てられなかった。今回の展覧会は義昭の生涯を詳しく紹介しており、たいへん見ごたえがあった。宇治市槇島町薗場...
明治

創られた陪塚

大きな古墳には陪塚(陪冢)という小さな古墳が付属していることがある。首長と臣下のような関係だろうか。あるいは家族だろうか。死後も近くにいさせてあげたいというのは古今変わらぬ人の情である。宇治市菟道に「宇治墓陪冢」がある。周囲は道路、鉄道、住...
明治

創られた陵墓

今でも権力の座をめぐって様々な駆け引きがあるくらいだから、大昔の皇位争奪戦はどれほど激しかったことか。それだからこそ、皇位を譲り合うことは美談として語り伝えられるのだ。宇治市莵道に「応神天皇皇子莵道稚郎子尊宇治墓」がある。陵墓にふさわしく清...
室町

鉢かづき姫の故郷

私は間違っていた。“鉢かつぎ姫”だと思っていたら「鉢かづき姫」だった。鉢を頭でかついでいるではないか。そうではなかった。頭にかぶることを「かづく」というのだった。寝屋川市寝屋に「伝・寝屋長者屋敷跡」がある。説明板があるのでそれと分かるが、見...
戦後

川、ここに始まる

川の源流を探る旅はおもしろい。滔々と流れる大河にも最初の一滴がある。その水は岩にぶつかり落ち葉を運び魚に飲まれながら海へと向かう。あたかも人生に色々あるように。寝屋川市池の瀬町に「寝屋川の起点」がある。寝屋川といえば地名のイメージが強いが、...
戦国

家督争いの果てに

室町幕府の管領を務めた畠山家の内訌はすごい。あの有名な応仁の乱を誘発し、その終結後も一向に終わる気配がなく、あの有名な山城国一揆で追い出される。そんなことでやめるわけがない。寝屋川市成田西町の成田山大阪別院に「畠山義豊の墓」がある。人名がた...
江戸後期

金気のない清らな水

弘法井戸は以前にも紹介したことがある。全国に分布する伝説だから旅の途中で見かけることも多かろう。中には大師に親切にしなかったから涸れてしまったなどというのもあるが、今回は、立派な覆屋が作られ今も水を湛えた井戸の紹介である。寝屋川市緑町に「田...
江戸前期

渡来人のアイデンティティ

広隆寺の半跏思惟像のアルカイックスマイルは小学生の私の心をも捉えた。図工の時間に模写して塩ビ板にニードルで刻んだ。スマイルは再現できなかったが、好きな仏像第1号となった。広隆寺は京都の太秦(うずまさ)にある。私は行ったことがない。今の小学生...
鎌倉

河内の刀匠、備前へそして京へ

現在、国宝や重文に指定されている刀剣に備前刀が占める割合は大きく、特に鎌倉時代の秀作が目立つ。武事に積極的だった後鳥羽上皇は、全国から刀鍛冶の名工を召し出し月交替で作刀させた。「御番鍛冶」の制度である。まずは吉川弘文館『国史大辞典』に説明し...
幕末

3日で終わった討幕の先駆

世直しといっても、まつりごとを私する奸物を除くのは「改革」だが、権力そのものを否定するのは「革命」である。そういう意味では桜田門外の変と天誅組の変・生野の変は指向の異なる動きである。今回は生野の変を取り上げるが、これは幕政改革を目指したもの...