幕末

近藤勇の最期

誰でも普通お墓は一つだが、個人のお墓がたくさんあるというのは、故人を慕う人が多いからだろう。新選組局長の近藤勇もその一人だ。近藤勇は斬首されたから首と胴は別になったが、それぞれ複数の塚があるというから謎めいた話でもある。北区滝野川七丁目の寿...
戦後

板橋の板橋

地名には何がしかの起源があるはずだ。大阪は上町台地に坂があったのだろう。岡山には丘みたいな小さな山があったに違いない。では板橋には板の橋があったのか。行ってみると、それはあった。もっとも板の色をしたコンクリート製だったが。板橋区仲宿に「板橋...
明治

時を越えた愛の絆

豊臣秀吉死後の混乱の中で、五大老の地位から近世大名として存続できなかったのは宇喜多家のみである。時流を読み誤ったのか運が悪かったのか。うまくすれば近代華族となっていたかもしれない。板橋区板橋四丁目の東光寺の境内に「宇喜多秀家の墓」がある。ま...
江戸後期

帝国陸軍発祥の地

各地のイベントで鉄砲隊が登場し轟音を響かせて会場を盛り上げている。今でこそ出しものの一つだが、かつては軍事技術の最先端だった。板橋区民まつりで毎年活躍しているのが西洋流火術鉄砲隊である。我国陸軍創設者の一人、高島秋帆先生の事績を今に伝える鉄...
安土桃山

ご先祖さまのおかげです

関東の雄、北条氏が世渡り上手で秀吉に頭を下げていれば、その後の家康の江戸入封もなかったかもしれない。すると日本の首都も果して今の姿であったかどうか。想像するのは楽しいが、主家を失った家臣はそれぞれに生きる道を探さねばならなかった。板橋区赤塚...
江戸後期

飽食に警鐘を鳴らす

日本に飢饉があった、餓死者が続出したなんぞ信じられない時代になっている。多くの人が食べ過ぎて命を縮めているくらいだ。しかし、江戸時代には飢饉があった。特に享保、天明、天保は三大飢饉と呼ばれている。今日は天保の大飢饉の史跡である。板橋区赤塚5...
戦後

大仏見るなら東京へ

東京に行くなら、東京モノレールに乗って東京タワーに登って、名所の名前に東京とつかなければ来た甲斐がない。そういえば、スカイツリーはどうだろう…。東京が付いていた。これなら安心だ。そして、東京といえば大仏でしょ。板橋区赤塚五丁目の乗蓮寺に「東...
江戸中期

市街地の名湧水

水の豊富な日本であっても、やはり水は貴重だ。飲み水となって命をつなぎ、水田に引かれて稲を育て、風呂に沸かされて体を温めてくれる。さらには、心も清めてくれるのだ。水の湧くところ、それはパワースポットなのだ。板橋区赤塚八丁目に「赤塚不動の滝」が...
戦後

龍神の棲む池

龍神の話なのにカテゴリーは戦後である。ネス湖のネッシーのようなミステリーなのか。青碧の水を湛えた池に何かいると考えるのは実に自然だ。池に神様がいるとするなら、そのお姿は龍がふさわしかろう。板橋区赤塚五丁目に「赤塚溜池公園」がある。この穏やか...
戦後

ボテロのヴォリューム

都会の風景の一部を構成する野外彫刻が好きだ。抽象的で意味は不明なのだが素敵な彫刻ばかり見てきたので、具象も具象、これほど分かりやすく圧倒的な量感で迫ってくるものに出会った時には、ずいぶん新鮮に感じたものだ。渋谷区恵比寿四丁目(目黒区三田一丁...