明治

日英同盟とは何だったのか

現代日本外交の基軸である「日米同盟」は、将来どのように評価されるのだろうか。日本の平和と安定に寄与したことは疑う余地がないが、辺野古に象徴されるように、基地提供という負担も大きい。かつての「日独伊三国同盟」は、冥土の旅の一里塚のようなもので...
奈良

正倉に納められたお宝

正倉院の校倉造(あぜくらづくり)は、湿度の高い時には木材が膨張して外気を遮断し、内部の宝物を湿気から守る。昔、そう習ったような気がするが、フェイクニュースか都市伝説の類らしい。調湿機能は先人の知恵と、妙に納得していただけに残念だ。その正倉院...
幕末

ライバルは、寛政十二年

子どものころ、鳥居の上に石をのっけて遊んでいた。投げた石の着地点が、放物線の頂点をわずかに過ぎた点と一致すれば上手くいく。とはいえ、行為として適否を問うならば、いいことではない。鳥居の先は神域である。一礼してくぐるようにしたい。日本一大きな...
大正

祝・民生委員制度創設100周年!

5月12日は「民生委員・児童委員の日」だった。私たちが安心して暮らせるのも、民生委員さんが地域住民の見守りや相談で活躍してこられたおかげだ。「卒業式の来賓でお見かけする程度で、あまりよく知らないな」という方のために、百年前の話をすることとし...
源平

岩に残るひづめの痕跡

座るのにちょうどよい石があれば、貴人が腰掛けた「腰掛石」と呼ばれる。「菅公腰掛石」「文覚上人腰掛石」「宮本武蔵腰掛石」のように。同じく、馬の蹄(ひづめ)の形の穴が開いていれば、貴人の馬が蹴った「馬蹄石」と呼ばれる。聖徳太子ゆかりの「馬蹄岩」...
江戸前期

大石内蔵助のお祖母さん

大石内蔵助と聞けば、中村勘九郎の顔を思い出す。のちに勘三郎となった名優である。大河『元禄繚乱』では、内に思いを秘めながらも、それを他人に知られぬよう振る舞う内蔵助を、見事に演じていた。内蔵助は当時から今に至るまで、多くの人に慕われ、そのゆか...
江戸中期

異学を禁じた学問の神様

学問の神様リストに、また一人追加したい。太宰府天満宮の菅原道真、橘神社の橘逸勢、契沖神社の僧契沖、東湖神社の藤田東湖、阿部神社の阿部正弘に続くのは、栗山記念館の柴野栗山(しばのりつざん)先生である。先日、文部科学省の教員勤務実態調査で、小中...
古墳

古墳は見た目が100%

古墳はむかし輝いていた。そう聞いてもイメージできなかったが、神戸で五色塚古墳を見て納得した。葺石に覆われた古墳は現代美術のように斬新で、周囲の住宅街とよく調和している。築造当時は周囲の緑との対比でひときわ輝いて見え、ランドマークと認識されて...
源平

神様になった腰掛石

ブログ開設以来のアクセス数が23万を突破しました。これもひとえに皆様のおかげと感謝しております。今後ともご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。過日、瀬戸大橋を電車で渡った折に、陽光にきらめく海原を眺めていると、瀬戸内海は巨大な交通路だと実...
明治

将軍の友情と庶民の戦争

乃木希典の評価は二分されている。日露戦勝から敗戦までは「軍神」と崇められ、司馬遼太郎が『坂の上の雲』で批判してから「愚将」との見方も生じたが、近年は日本人の誉れを示した「名将」と再評価されている。「軍神」は、旅順攻略に成功し日露戦を勝利へと...