弥生以前

200万年前の溶岩

今は地質年代で言えば新生代第四紀である。新生代は第三紀と第四紀から成るが、1989年以来、第三紀を古第三紀と新第三紀に分けている。さらに2009年、新第三紀と第四紀の境界が181万年前から258万年前に変更された。ジェラシアンという時代区分...
室町

神は人の敬によって威を増す

神︀者︀依人之敬増威、人者︀依神︀之徳添運。神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によって運を添ふ。御成敗式目の第一条には、こんな名言が記されている。神と人の関係を、これほど的確に表現した言葉を私は知らない。本日は備北の神社からのレポートで...
江戸前期

淫祠邪神を排除する

寛文の三名君、保科正之、徳川光圀、池田光政に共通するのは、学問好きな性格と宗教政策である。儒教を篤く信仰し、既存の寺社を整理した。人々を惑わす淫祠邪教を取り締まり、宗教を通して人心を掌握しようとしたようだ。三人のうちで最も急進的だったのが池...
戦国

南蛮渡来のタヌキの物語

「魔法のコトバ」というSPITZの名曲があるが、多感な時期、その一言で劇的に世界が変わった経験をお持ちではないか。その魔法、恋といふ。恋魔法なら何時までもかかっていたいものだが、勘違いだったことがよくある。本日は魔法という名の神社である。ど...
幕末

富足ゆかむ春ぞ来むかふ

ストレートな思いが若者言葉や英語に訳しやすいと評判で、元号の出典として高く評価される『万葉集』。今年は「和歌の浦誕生1300年」という記念の年に当たる。神亀元年(724)、この年に即位した聖武天皇が和歌の浦に行幸して1300年。帝に随行した...
鎌倉

備中松山城跡縦走記

臥牛山は母との思い出の場所である。それはまだ特急やくもが気動車だったころ、私が備中松山城を見に行きたいと言ったらしい。お城を目指して臥牛山を登っていると、おやつの入った私のカバンを何者かが引っ張る。サルだ。「なんもないよ」と説得を試みるも、...
弥生以前

岩は大量絶滅を見たか

岡山平野南部の干拓地に立てば、かつての「吉備の穴海」がイメージできる。周りが山に囲まれているのだ。南の金甲山、北の金山はすぐに視認できるだろう。その金山の右側にも同じくらい高い山がある。本宮高倉(ほんぐうたかくら)山だ。気になるので登ってみ...
戦後

落差五十メートルの段々瀑

及ばぬ鯉の滝登りというが、誰もが実感できるから慣用句になっているのだろう。私も時の流れに身を任せながら時運に遇うのを待っていたことがあるが、流るる水は砂を運ばず、吹く風は枝を鳴らさず、降る雨が土塊を砕くこともなかった。私の中の滝登りは叶うこ...
古墳

最初の円筒埴輪ゆかりの古墳

埴輪の起源について強烈な印象を残したのは、手塚治虫『火の鳥(ヤマト編)』である。切ない物語の原話は『日本書紀』であり、私はすっかりそれを信じていた。しかし、考古学の成果によれば、埴輪の起源は吉備の特殊器台から発達した円筒埴輪だという。その円...
弥生以前

縄文稲作の最古例はどこか

稲作の起源は諸説あって、日本史の謎の一つである。一説に、最古の証拠は朝寝鼻貝塚で見つかった6400年前のプラントオパールだ、という。これは縄文時代前期であり、この時代からご飯を食べていたなら縄文人のイメージがかなり変わるだろう。さっそく現場...