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真備公を顕彰する二つの石碑【吉備真備⑥】

平安絵巻の傑作『吉備大臣入唐絵巻』は、アメリカのボストン美術館所蔵である。ロゼッタ・ストーンの返還を求めるエジプト人のように悔しいのだが、『絵巻』は奪われたのではなく売られてしまったのだ。その意味では、アラスカを売却して後悔しているロシア人...
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真備公ゆかりの二つの墓【吉備真備⑤】

人間到るところ青山あり。骨を埋むる豈ただ墳墓の地のみならんや。人も歩けばお墓に当たる。これだけ多くの人が生きてきたのだから、それだけお墓も多い。一人で複数のお墓がある人もいる。和泉式部の墓は各地にあるようだから、吉備真備の墓が二つ三つあって...
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真備公が貢献した二つの文化【吉備真備④】

オセロ発祥の地は水戸市だという。現在の水戸第一高等学校に通っていた長谷川五郎さんと仲間たちの遊びから生まれた。当時の石は牛乳瓶の蓋であった。だからと言って、「オセロ発祥の地」という記念碑があるわけではないようだ。岡山県小田郡矢掛町東三成の吉...
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吉備公ゆかりの二か所の館址【吉備真備③】

奈良貴族の邸宅跡として知られるのは、長屋王邸や藤原不比等邸、藤原仲麻呂邸などであるが、昨年、舎人親王邸では?という4町宅地跡が見つかり話題となった。中でも仲麻呂邸は8町という広さだというから、その権勢が偲ばれる。その藤原仲麻呂と相容れること...
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真備公の産湯に使った二つの井戸【吉備真備②】

イエスが誕生した時に輝いたというベツレヘムの星は、ヨハネス・ケプラーによれば紀元前7年に起きた木星と土星の三連会合だったという。いや彗星ではないか?超新星爆発では?など、さまざまな説があって決定打はない。吉備真備が生まれたのは持統天皇九年、...
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真備公を顕彰する二つの公園【吉備真備①】

古代日本史の人物で顔が思い浮かぶのは聖徳太子ぐらいなものだ。あのお姿がありがたく感じるのは、壱萬円札から生じた昭和の聖徳太子信仰によるものだろう。いっぽう卑弥呼はあまりにも有名だが、容貌についてはさっぱり分からない。和気清麻呂は見たことがあ...
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天空の岩と滝(船上山・自然編)

高い所が得意でない。先日、高層階にある知人のマンションを訪ねて、ベランダから下をのぞいたら吸い込まれそうになった。怖い怖い。だが、通常使用では事故が起きない構造になっているし、妙な吸引力など存在しないはずだ。自然界はどうだろうか。本当に危険...
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建武中興準備政府(船上山・歴史編)

「咸宜」とは「ことごとくよろし」という意味だそうだ。人生そのように理解したいものだと、つくづく思う。この語を冠した私塾「咸宜園」が豊後日田にあり、以前の記事「教育県大分の偉大な先人」でレポートしている。創立者は廣瀬淡窓、二代塾主は弟の旭荘で...
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服を置きっぱなしにした天皇【西の洗顔清水】

君が歩けば そこに必ず 道はできる、という歌詞があったが、後醍醐天皇が歩けばそこに必ず伝説が生まれるのである。弘法大師もそうだったし菅原道真も同様だ。正確に言えば、歩いていないところにまで伝説ができるのである。道真の伝説地に本人が本当に立ち...
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顔を洗って出直した天皇【東の洗顔清水】

後醍醐天皇は鎌倉幕府から「顔を洗って出直しな」と言われたわけではなかろうが、隠岐配流の途中にお顔を洗われたという史跡がある。冷たい水にシャキッとしたのが功を奏したのか、隠岐から出直して幕府の討滅に成功したのである。津山市種に「洗顔清水」があ...