江戸後期

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江戸の砂留と現代のロックフィル

「コンクリートから人へ」冷たく固い巨大な構造物と温かい血の流れる柔らかな命。政治が何を大切にするのかを見事に対比し、閉塞感に鬱々としていた国民の心を鷲掴みにしたスローガンである。2009年に政権交代を果たす民主党が打ち出した。コンクリートの...
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大塩と一緒に決起した門弟

英雄は死なずと生存願望があることから、源義経が大陸に渡って成吉思汗になったとか、西郷隆盛がロシアのニコライ皇太子とともに帰朝するとか、荒唐無稽な説が世間の口の端に上ったことがある。あの大塩平八郎にも生存伝説がある。大阪市天王寺区城南寺町の龍...
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両備国境の旅

国境は常にトラブルの現場になっている。いま世界で一番話題になっているのは米墨国境で、米国トランプ新大統領はメキシコとの国境で国家非常事態を宣言するといい、メキシコ湾はアメリカ湾に改称するという。それなら我が国も、日本海を東海として太平洋を日...
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江戸時代の官報掲示板

法令など政府からの情報発信は「官報」の発行により行われている。今の時代、ネット配信が当たり前に思えるが、国立印刷局などの掲示板にもアナログ掲示されるそうだ。官報の創刊は明治16年で、その前には東京日日新聞に政府の公式発表を掲載する欄があった...
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江戸時代の道の駅、一里堂

今の長さ単位は地球に由来しているが、昔の単位は身体に基づいていたという。尺は親指と人差し指を尺取り虫の動きで2回分。両手を広げたら尋。足の長さはフィート。洋の東西を問わず、身体感覚が分かりやすいのだ。では「里」とは何だろうか。約4㎞、歩いて...
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お地蔵さまが見守った住友の鉄山

中国山地は近代製鉄以前、日本一の鉄生産量を誇っていたという。その中国山地の東端は、岡山県最高峰の後山とも丹波高地とも言われている。本日は後山近くにある兵庫県の鉄山を訪ねたのでレポートする。宍粟市千種町岩野辺(いわのべ)に市指定史跡の「荒尾鉄...
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柞葉(ははそは)の母をおもへば

自己啓発本が売れるのは米国と日本ばかりで、欧州にはあまりないそうだ。有名な古典『フランクリン自伝』は自己啓発本の元祖で、要はおじさんの自慢話なのだという。自慢話が好きなおじさんは、確かにセルフイメージが高い。俺ってすごいぜ、と他人にアピール...
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海上も含んで金毘羅往来

本州から四国へと向かう主要ルートの一つ国道30号は、岡山市中心部の大雲寺交差点を起点として、児島湾干拓地を通過して玉野市へ入り、宇野港から瀬戸内海を渡って高松市を終点とする。車で走ることの出来ない、いわゆる海上国道である。この一見奇妙なルー...
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沈毅にして人にへつらわず

旧暦の十月一日というから今なら十一月半ばだ。夜がぐっと冷え込み、山は美しい彩りを纏っている。そんな折、友あり遠方より来たる。幕末の万葉歌人平賀元義のもとへ客人が訪ねてきた。十月朔日、鴨井耕太郎大銘訪月見之楼小飲客人(まれびと)に何を示さむ山...
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三角形の三角山は神の山

ブログ開設以来の総アクセス数が84万を突破しました。これもご覧いただきました皆様方のご厚情の賜物と心より御礼申し上げます。今後とも何卒変わらぬご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。山容と山名は密接な関係にある。槍ヶ岳は尖っているし鋸岳はギ...