戦前戦中

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大日本の標準時

標準時子午線といえば,明石市。そして,東経135度。そ~んなの~常識,なのだが,東経135度が通る地点は明石市だけではない。それも常識なのだが,実際にその場に立つと新鮮に感じる。三木市久留美に「大日本中央標準子午線」を示す標柱が立っている。...
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世界は一つの家

地球という一つの家で暮らす私たちは,どんな人とも家族のように助け合って平和に生活していこう。今では地球家族,昔は「八紘一宇」のことである。宮崎市下北方町の平和台公園に「平和の塔」がある。かつては八紘台,「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」...
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禁野大爆発

各地で平和の日が制定されている。東京都は3月10日,岡山市は6月29日,長崎市は8月9日など,多くの場合,太平洋戦争末期の被害に因むものである。これに対し,3月1日の「枚方市平和の日」は,太平洋戦争前の昭和14年の出来事に由来する。枚方市中...
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兵どもが夢のあと

今から思えば,太平洋戦争への突入は無謀にしか思えないのだが,当時としては決然として立つべき理由はあった。それは,明治以来,大陸に日本人が営々と築いてきた勢力を守るためであり,その過程で異郷に散った英霊の労に報いるためである。 仙台市青葉区川...
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人と心の結集する場所

GLAY「BELOVED」,薬師丸ひろ子「交叉点」など,人々の行き交う交差点は詩の素材となることが多い。出会いあるいは別れの場であり,目標であったり節目であったりする。そんな辻には史跡もまた多い。和泉市王子町3丁目に聖神社一の鳥居があり,そ...
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今に生きる実篤の理想

武者小路実篤との出会いはマッチ箱であった。デザインされていたのは「君は君 我は我也 されど仲良き」の詩画である。実に素朴で味わい深い。世にはマッチラベルの収集家がいるというが,その気持ちが分かる気がした。白樺派といえば理想主義的なイメージが...
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青春のメッセージは永遠に

「青春は短い。宝石の如くにしてそれを惜しめ。俗卑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、その想いを偉いならしめ、その夢を清らかしめよ。夢みることをやめたとき、その青春は終わるのである。」倉田百三『愛と認識との出発』の有名な一節で...
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蚊取線香ゆかりの神社

この夏も蚊取線香にはずいぶんお世話になった。最近はピレスロイドではなく天然除虫菊で作った蚊取線香も多く出回っている。体に優しいイメージがあるからだろう。尾道市向島町兼吉の亀森八幡神社の境内に「除蟲菊神社」がある。 昭和五年の創建で上山栄一郎...
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祖国の美しさと倉田百三

庄原市立庄原小学校の校歌は,倉田百三の作詞である。百三の晩年,昭和十七年の作だ。「春は上野か秋去れど国兼池の紅葉狩り」と歌われるように,上野池の桜は今でも美しい。池のほとりに百三の文学碑がある。その文は『愛と認識との出発』が描くような美的世...
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聖上陛下の御上陸

昭和五年五月二八日から六月三日まで,昭和天皇の静岡県御巡幸があった。六月一日には巡航船で浜名湖を御覧になり佐久米港に御上陸になった。ホテルグリーンプラザ浜名湖近くの海岸に,記念の石碑が当時の東濱名村によって建てられている。『三ケ日町史』によ...