平安

平安

弘法が与えた名水

弘法大師と水にまつわる伝説は各地に伝わっている。水に苦労する村に来た大師が杖を地面に突き立てると,たちまちそこから水が湧いた。また,大師に水を与えるのを惜しんだ村では水が涸れてしまった。たつの市新宮町芝田に「輪袈裟の清水」がある。昔,旱魃の...
平安

いぼ神様になった巨勢金岡

巨勢金岡といえば,大和絵の様式を確立した平安時代の絵師である。その金岡が「いぼ神様」となって信仰されているというから不思議だ。岡山市西大寺上1丁目の小学校と中学校の間に「巨勢金岡の墓」がある。晩年をこの地で過ごしたと伝えられ,墓の右手に「筆...
平安

平安の首都移転候補地

現代の首都移転は一向に進む気配がないが,平安時代にも頓挫した遷都の動きがあった。遷都騒動で有名なのは,治承四年(1180年)の平清盛の福原遷都。この時,手狭な場所ではなく摂津国昆陽野(伊丹市)か播磨国印南野(加古川市)にすべきでは,との意見...
平安

小野小町のメッセージ

世界三大美女の一人に小野小町を数えるのは世界共通ではないだろう。なにせ日本人でさえ,その容貌を具体的に知る手がかりを持ってはいない。それでも人の口の端に掛かるくらいだから,美女であることは間違いないのだろう。「小野小町姿見の井戸」が倉敷市羽...
平安

国境の細い谷川

国境(くにざかい)の橋は「両国橋」と呼ばれ,両国国技館近くのものが有名だ。ここは隅田川をまたぐ武蔵と下総の境である。ここで紹介する両国橋は,橋があるのかどうか分からないくらい小さい。岡山市の吉備中山を帯のように流れる「細谷川」を渡る橋だ。こ...
平安

和泉式部の「へぼ歌」

和泉式部は伝説の歌人である。厳島参詣の折に大嵐に遭い,尾道の向島に上陸した式部。夫の保昌と相談し,天神山にある枝ぶりのよい松を古江浜に移植した。時を経て枝が四方に広がった松が明治十年頃まであったという。古江浜の金比羅宮・胡神社の右手に「和泉...
平安

名国司の顕彰

かつての土佐は遠流の地で,幾多の貴人が流されてきた。その一人,紀夏井といえば,応天門の変で排斥された名族・紀氏の有力者である。香南市野市町母代寺には紀夏井邸跡がある。母代寺の近くには父養寺という地名もあり,どちらも夏井の親孝行に由来するらし...