安土桃山

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小早川隆景が見た高松城水攻め

墨田区を流れるのは隅田川で、京都の鴨川の上流は賀茂川である。多摩川から取水するのは玉川上水で、奈義町には雄大な那岐山がある。このブログには春日部市粕壁からのレポートもある。同じ場所で同じ読みながら、異なる表記をするというケースはけっこうある...
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城下町用瀬を守った豊臣系武将

令和元年秋に鳥取市歴史博物館で「因幡×豊臣~豊臣政権と因幡の大名~」という秀逸な展覧会があった。因幡の大名といえば、中世なら山名氏、近世なら池田氏で、両者を結ぶ安土桃山期が豊臣系大名の時代である。軽く扱われがちだったこの時代にあえて着目した...
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草も木もなびかせた戦国武将

武田氏と言えば信玄と勝頼。大河『どうする家康』では阿部寛さんと眞栄田郷敦さんが演じている。山梨県に足を踏み入れたことがないので、信玄父子の史跡を紹介することはできない。それでも以前の記事「旗本になった武田氏」で、信玄の弟信実の後裔を紹介した...
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秀吉の侵攻に抵抗したお殿さま

江戸時代になって書かれた軍記物は臨場感があって面白いのだが、必ずしも史実を反映させているわけでない。実際はどうなのかを一次史料で確認する必要がある。当事者が記録を残すことはあまりないが、筆まめな秀吉は戦況報告を国元やねねに送っており、史実の...
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毛利織田に向き合った但馬の国衆

昨年12月にアメリカ政府は首都ワシントンでアメリカ・アフリカ首脳会議を開催し、アフリカで影響力を強める中国やロシアに対抗する姿勢を示した。アフリカの中でも有力な南アフリカ共和国は中国を最大の貿易相手国としているし、隣のナミビアはロシア非難決...
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豊臣系武将の豊岡城

戦うための施設だった城跡と平和に憩うための公園の親和性はたいへん高い。このブログでも福山城公園、鶴山公園、明石公園などを採り上げた。福山城は築城400年を機にリニューアルされたし、鶴山公園は「さくら名所100選」の地として有名だ。明石公園は...
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月田城の最寄駅は急行終着点

家に岡山駅の古い時刻表があって、聞いたこともないような特急や急行を見つけて楽しんでいた。行先は上りなら大都会、下りなら有名な地方都市なのだが、月田駅が終点という珍しい急行列車を見つけた。昭和47年10月2日改正の時刻表である。その急行は岡山...
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搦手を守った忠義の武将

城には「大手」と「搦手(からめて)」がある。日本経済を動かしている大手町は、江戸城の正門大手門があったことに由来している。つまり大手は城の正面である。何事にも表と裏があるものだ。表を固めて敵の動きをしっかり見ておくこと大切だが、裏にも気を付...
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秀吉兄弟の中国攻め、緒戦の勝利

秀吉の中国攻めは戦国史のハイライトである。中国の雄毛利氏と畿内の覇者織田氏によるこの対決は、天正五年(1577)の播磨攻めから始まる。当初、播磨の諸将は時局をうまく読んで織田方につく。のちに彼らは寝返ることになるのだが、今はその気配はない。...
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戸田松の城にかくるゝよし

ルイ14世はわずか4歳で即位し、足利義満は11歳で将軍となった。子どもながらに政治の道を誤らなかったのは、宰相マザランや管領細川頼之のおかげである。いっぽう安徳天皇は1歳で即位したが平家と運命を共にし、1歳か2歳の三法師は秀吉に主客転倒され...