安土桃山 三木の干殺し 22か月である。これほど秀吉が苦戦した合戦はない。播磨・三木城の包囲戦である。守るは従四位下侍従別所小三郎長治二十三歳。両将ゆかりの地を訪ねてみよう。三木市上の丸町の三木城址に「別所長治公像」が建立されている。三木市ライオンズクラブ結成40... 2010.01.31 安土桃山
安土桃山 伝説の軍師 名将に軍師あり。天下人・秀吉には「両兵衛」がいた。すなわち,竹中半兵衛,黒田官兵衛である。うち官兵衛は関ヶ原を生き抜くまで命を永らえるが,半兵衛は天下統一前に若くして没する。胸の病だったという。三木城包囲戦の最中のことである。三木市平井に「... 2010.01.26 安土桃山
安土桃山 日和見こそ生きる力 日和見といえばいい加減なイメージがあるが,戦国の世を生き抜くためには,そのくらいの柔軟性はあってよい。節を曲げずに大義に殉じるのは美しい生き方かも知れぬが,滅んでしまえばお終いだ。八幡市八幡南山の八幡洞ヶ峠交差点に「筒井順慶陣所跡」の石碑が... 2009.12.25 安土桃山
安土桃山 政宗と母の確執 母が子に毒を盛る。時として常識では考えられないことが起こる。現代の虐待事件ではない。昨今の戦国ブームで歴女から「マサムネサマ」と高支持を誇る伊達政宗の話である。仙台市青葉区北山1丁目の覚範寺の本堂裏に「保春院の墓」がある。写真では右の小さい... 2009.10.15 安土桃山
安土桃山 無血開城の英雄 無血開城といえば本朝ならば西郷隆盛に勝海舟,遠く異朝をとぶらへば北京解放時の国民党軍の傅作義将軍が思い浮かぶ。戦国の世ならば最後の一兵まで戦うのかと戦うのかと思ったら,そうでもなさそうだ。負けると分かっている戦いは無駄以外の何物でもない。大... 2009.10.12 安土桃山
安土桃山 帰りたいと言った石 帰りたいと言って泣くので元の場所に戻したら泣き止んだ,という石の伝説を時々聞く。今日紹介する話もそれに少し似ている。姫路市香寺町田野に「岩帰大明神」がある。御神体は,腰掛けるのにちょうど良い大きさで「岩帰さん」とも呼ばれる岩である。下の病気... 2009.05.24 安土桃山
安土桃山 祭りと酒が伝える人望 支配者がどのように民衆の記憶に残るかは興味深いところだ。忘れ去られる者が圧倒的に多いが,悪くすると暴君とされ,上手くいくと名君となる。本日紹介する名君は戦国の敗者である。しかしながら,その負けた戦いの様子が再現されるほどに偲ばれている人物で... 2009.02.05 安土桃山
安土桃山 秀吉が賞賛した国人 古代の近衛府という役所は,今で言えば皇宮警察のようなものだ。近衛府の三等官を「将監(しょうげん)」という。戦国時代には古代の官職を勝手に名乗ったり与えたりする者が多かったが,今日は「将監」という武将の話である。岡山県都窪郡早島町早島の早島公... 2009.01.05 安土桃山
安土桃山 耳塚の悲劇 秀吉は日本人にとって英雄の一人である。出世の階段を上り詰めたという人間的な魅力に加えて,太閤検地など近世社会の基礎を築いた人物として高く評価されている。しかし,朝鮮侵略(文禄・慶長の役)となると話は別だ。京都市東山区正面通大和大路西入ル南側... 2008.12.03 安土桃山
安土桃山 のみ跡の残る不思議な岩 人は大きな岩に霊力を感じる。その岩にのみの跡でも残っていようものなら,想像力はなおさら掻き立てられる。そして人は伝説として語り継いでゆく。三豊市詫間町香田に「三四郎岩」という巨石がある。秀吉の大阪城築城の際に砕石されたものといわれ,のみの跡... 2008.11.01 安土桃山